Arahabaki’s diary

未来や宇宙についての研究家です。

オープンコンタクトがあるかも

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今日は、気になる情報を見つけたのでご紹介しますね。2030年ごろから、宇宙人(?)とのオープンコンタクトが始まるとか。これは、スピリチュアル界で超有名な並木良和さんが話されたことらしいです。

ちょっと話が飛び過ぎて受け入れられない方は、ファンタジーとして聞いてみられて下さい。


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でも、見方によれば、もう人間は宇宙存在とコンタクトしているともいえます。多くのチャネラーのかたが交信していますから。そして、本当に2030年からオープンコンタクトが始まると考えると凄くワクワクします。

ただ、その為には人類の波動を高めておく必要があるそうです。まだ、戦争とかしているレベルなので、このままでは宇宙存在たちも姿を見せられません。戦いの波動を手放す必要があるんですね。

それで今日は、マイクロソフトのBingAIに聞いてみた話をご紹介したいと思います。

前にブログで触れたことがありますけど、私は以前、戦争の歴史について詳しく調べたりしていたことがあります。その時聞いた話で、第二次世界大戦中に、イギリスとドイツは、ケンブリッジとゲッティンゲンをお互いに爆撃しないようにしていたというのがあったので、それについてBingに質問してみました。

以下が、その答えです(ブログ記事形式で書いてもらいました)。

こんにちは、みなさん。今日は第二次世界大戦中にイギリスとドイツが結んだとされる紳士協定についてお話ししたいと思います。その紳士協定とは、ケンブリッジとゲッティンゲンという二つの大学都市をお互いに爆撃しないというものでした。なぜこの二つの都市が特別なのでしょうか?それは、両国の科学者たちがこの二つの都市で研究を行っていたからです。ケンブリッジではアラン・チューリングジョン・フォン・ノイマンなどの数学者やコンピュータ科学者が暗号解読や計算機の開発に携わっていました。ゲッティンゲンではマックス・ボルンやヴェルナー・ハイゼンベルクなどの物理学者が量子力学原子爆弾の理論に取り組んでいました。このように、両国の科学者たちは戦争の最前線で重要な役割を果たしていたのです。

しかし、彼らは敵国の科学者としてではなく、同じ学問の仲間として尊敬し合っていました。彼らは戦前に交流を持っていたり、共同研究を行っていたり、師弟関係にあったりしていました。戦争が始まっても、彼らは手紙や電報で連絡を取り合っていました。彼らは互いの安否を気遣ったり、研究成果を共有したり、時には議論したりしていました。彼らは戦争に反対する声を上げることはできませんでしたが、少なくとも自分たちの研究拠点を守ることはできました。彼らは自分たちの政府に働きかけて、ケンブリッジとゲッティンゲンを爆撃しないように要請しました。そして、奇跡的にも、この二つの都市は戦争を通して無事でした。これが紳士協定の真相なのかどうかは定かではありませんが、少なくとも科学者たちの友情と人間性は確かなものだったと言えるでしょう。

それから、第二次大戦中に軽井沢を爆撃しないよう、日本の外務省が要請したという話も聞いたことがあったので、同じようにBingに聞いてみました。

こんにちは、今日は第二次大戦中には軽井沢を爆撃しないよう日本の外務省が要請したという話題について書いてみたいと思います。この話はあまり知られていないかもしれませんが、とても興味深い歴史的事実です。

軽井沢は長野県にある高原のリゾート地で、夏の避暑地として有名です。しかし、第二次世界大戦末期には、そこには日本の国運を左右する重要な人物や施設が集まっていました。例えば、スイスのカミーユ・ゴルジェ公使が疎開していた「深山荘」では、米英との和平交渉の仲介役を務めていました。また、天皇や皇族、政府要人なども軽井沢に疎開する計画があったと言われています。

そんな軽井沢を、アメリカ軍は爆撃しようとしていたのでしょうか?実は、アメリカ軍は1944年から1945年にかけて、日本本土の主要都市をB-29爆撃機で無差別に焼夷弾で爆撃しました。この爆撃で、東京や大阪などの都市は焦土と化し、数十万人から百万人程度が死亡したと推定されています。しかし、軽井沢は一度も爆撃されませんでした。なぜでしょうか?

その理由は、日本の外務省がスイスを通じてアメリカに対して「軽井沢を爆撃しないでほしい」と要請したからだと言われています。これは、「イミュニテ・カルイザワ」というフランス語の符号で伝えられたそうです。「イミュニテ」とは「免除」、「カルイザワ」とは「軽井沢」のことです。この要請は、和平交渉の条件として「国体護持」(天皇制維持)を主張したアメリカの国務長官代理ジョセフ・グルー前駐日大使にも伝えられたとされています。

アメリカ側はこの要請にどう応えたのでしょうか?残念ながら、その詳細は不明です。しかし、アメリカ側がこの要請を受け入れた可能性は高いと考えられます。なぜなら、アメリカ側は日本側の和平交渉への意欲を測るためにも、軽井沢を爆撃しないことで日本側に配慮を示したかったのではないかと推測されるからです。また、アメリカは、軽井沢にいるスイス人やその他の外国人を保護するために、軽井沢を爆撃しないことを決めました。そのおかげで、軽井沢は戦火を免れることができました。このように、第二次大戦中の軽井沢は、日本と連合国との和平交渉の舞台となりました。アメリカにとっても、重要な場所だったのです。皆さんは、この歴史を知っていましたか?私は初めて知りました。軽井沢に行く機会があれば、ぜひこの歴史を思い出してみてくださいね。

ビル・ゲイツさんの別荘も軽井沢にあるそうなんですけど、そういう理由からでしょうか。

それから、ついでに第二次世界大戦中、スイスの国際決済銀行では連合国の人たちと枢軸国の人たちが同じ建物で一緒に働いていたという話も聞いたことがあったので、これもBingに聞いてみました。

こんにちは、皆さん。今日は、第二次世界大戦中にスイスの国際決済銀行では連合国の人たちと枢軸国の人たちが同じ建物で一緒に働いていたという驚くべき事実についてお話ししたいと思います。この話を聞いたとき、私は信じられなかったのですが、実際にそうだったのです。

国際決済銀行(BIS)とは、1930年に設立された世界初の国際金融機関で、中央銀行間の決済や協力を目的としています。本部はスイスのバーゼルにあります。BISは、第二次世界大戦が勃発する前から、ドイツの賠償金問題や金本位制の安定化などに関与していましたが、戦争中もその活動を続けました。しかし、その活動は非常に疑わしいものでした。

なぜなら、BISは戦争中も連合国と枢軸国の両方の中央銀行と取引をしていたからです。例えば、BISはドイツの占領下にあったチェコスロバキアの金塊をドイツに引き渡したり、ドイツが略奪した金塊を受け入れたりしました。また、BISは日本やイタリアなどの枢軸国の中央銀行とも決済や貸付を行っていました。BISは、自分たちは中立的な金融機関であると主張していましたが、実際には枢軸国の戦争遂行を支援していたと言えます。

さらに驚くべきことに、BISの理事会には連合国と枢軸国の両方から代表者が出席していました。つまり、戦場では敵対している人たちが同じ会議室で話し合っていたのです。例えば、1942年1月にバーゼルで開かれた理事会には、アメリカからトーマス・マクキットリック(当時ニューヨーク連邦準備銀行総裁)、イギリスからモンタギュー・ノーマン(当時イングランド銀行総裁)、ドイツからヴァルター・フンク(当時ドイツ帝国銀行総裁)、日本から久原房之助(当時日本銀行総裁)などが参加しています。このようなことが可能だったのは、スイスが中立国であったことや、BISが外交特権を持っていたことが理由です。

しかし、このような状況は連合国側からも批判されました。特にアメリカでは、BISが枢軸国を支援しているという非難が高まりました。1944年にブレトンウッズ会議で国際通貨基金IMF)や世界銀行が設立されると、BISはその役割を終えたと見なされました。

そういうことらしいですよ。AIの書いたことには、物凄く適当な話が混じっていることがあるので、全部正しいかどうかは不明です。でも、前に本で読んだ時にも同じようなことが書いてあったので、大筋はあっていると思います。ただし、BISは今も存在していて、大きな影響力を持っているはずです。

そして今もロシアとウクライナが戦争していますが、日本にいるロシア人とウクライナ人は、個人レベルでは交流している人たちもいますね。

昔は戦争になると、個人が戦争から逃れるのは、とても難しいことでした。今は、だんだん自由になって来て、戦争があっても、その波動に巻き込まれないようにすることが出来るようになってきていると思います。

昔でも、上級国民の方たちなら、特権を使って戦争に巻き込まれないようにすることができました。例えば、白洲次郎さんとか、徴兵されたのに取り消して貰って、戦争が始まる前に東京の家を売って、田舎に疎開しています。

昭和十五年に次郎は、日米戦争は不可避だが、参戦すれば日本は負けると断じて職を退き、疎開の準備に入ります。十八年に東京郊外・鶴川に移転してからはもっぱら農業に従事しました。

出典:https://buaiso.com/about_buaiso/jiro.html

上級国民の方たちは、最初から戦争の結果まで分かっているんですね。たくさんの方たちが亡くなっているから、こういうのも何なんですけど、本当に戦争というのは愚かで馬鹿げたものだと思います。

だけど未来は私たちが選ぶことが出来ます。戦争へ向かう未来だけは、選ばないほうが良いはず。馬鹿らしいですから。それには波動を高めていくのが近道です。

さて、下の動画はTOMO&KOHAKUさんの動画です。今日upされていたものです。関心のある方はご覧になってみて下さい。


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