いつも☆を頂いたり、お読み下さっているみなさん、ありがとうございます。
今日は、お正月二日目でだらだら過ごしてしまいました。
思ったんですけど、お正月って、スピリチュアルでみると「地の時代」の要素強めですよね。
というのも、たくさん親族があつまる家だと、普段つきあいのない親戚の子供にお年玉あげたり、そういうのが嫌で、離れて核家族で過ごすお家とか、結構ありがちな話だからです。
よくスピリチュアルの世界では、世界が二極化するといわれていて「地の時代」から「風の時代」へといわれますけど、親戚関係なんかは、まだ地の時代なんですよね。
親戚の子にお年玉をあげて、それで子供たちが喜び、あげた人も喜ぶ子を見て喜ぶ、それだけならいいんですけど。形式とか金額とか、いろいろモヤモヤもあります。なんかワクワクできなかったりして。
そうなってしまうのは、スピリチュアルでいう「お金のブロック」が外れてないからなんですよね。
結局みんな、お金に支配されている。それでワクワクできなくなっている。このブログでは、みんなを幸せにしようとしているから、これについて書いてみます。
それで、よく皆さん考えるのは、沢山儲けてお金の支配から自由になること。でも、それは簡単じゃないですよね。
まず、現実としてお金は一握りの人たちに集中しています。
そして、社会は、お金持ちが有利になるように作られています。
次のような言葉もあります。
「裕福な人がより裕福になるのは、裕福な人の方が政治システムに質のいいコネを持っていて、自分たちの利益促進のためにそのコネを利用することができるからだ」──。
ようするに、お金を得る競争はフェアではないんですね。特定のグループの人たちが、たくさん儲けているというだけのことです。
じゃあどうすれば?
政治とかで、なんとかする方法もあるのかも知れません。でも個人でどうにか出来ることじゃないですよね。
それで、見方を変えてみたらどうかと思うようになりました。本当に、お金だけが豊かになる方法なんでしょうか。
私は、豊かになる方法は、一個じゃなくて本当は無数にあって、人の数だけあるように感じてます。
だけど、みんな学校や会社で規範を押し付けられ、人並みな生き方の中で自分の心や感性を潰され、お金という同じ価値基準で競争させられるから、人との僅かな差、車やバック、靴とか、少しでも高い物を持つ、そういうので満足感を得るように仕向けられています。
だから、給料が少ないと不幸に感じてしまう。
でも、これ目隠しをされて走らされている競走馬と同じで、自由ではないということなんですね。
今は、まだ皆が目隠しをされています。でもだんだん、この目隠しが外れて、皆が自分の自由な方向へ走って行く。だんだん、お金で動かされない人たちが増えていく。そういう流れができてくる。
そうなると私は感じています。そうなれば、皆が幸せな世界になっていくわけです。もちろん時間はかかると思います。
でも、ここでブログを書いたり楽しんでいる方たちは、実は、もう大体そういうのも出来ているのかも知れないと思ったりします。
ブログなんて意味がないという人もいますけど、いま本を買っても、何千円とかしますよね 。でもブログで同じような満足を得てるなら、よく考えるとブログ読んでるだけで 同じだけかせいだのと同じことになるわけです。
それだけじゃなくて、無駄にお金を使わなくなったり、満足しているなら、もっと経済効果が出ているかも知れないです。
もちろん生きていくのには、他に、お金が必要なんですけど。
でも、だんだん心配なくなると私は思っています(全て大丈夫になる - Arahabaki’s diary)。やはり技術の進歩が解決してくれるのです。予測ですけど、これから限界費用が安くなるという動画を紹介しておきます。
それで、今起きているのは、古い秩序を維持したいグループと、もっと技術を発展させたいグループとの対立かも知れないですね。
考えすぎかも知れませんけど「地の時代」から「風の時代」へ移り変わる過程の混乱なんだと思います。
お金の問題については、大きな問題なので、また書いてみたいと思います。